杮葺の起源と発展
杮葺は飛鳥時代の皇極二年の「飛鳥板葺宮(あすかいたぶきのみや)」に由来があるとされています。古代日本では茅葺屋根が庶民の家屋に広く普及していましたが、やがて製材技術の発達とともに板葺(いたぶき)屋根も現れるようになりました。
しかし初期の板葺は板厚があり直線的な屋根にしか適さなかったため、曲線を帯びた寺院建築などでは雨水の浸入による腐朽も生じやすく、その普及は限定的なものでした。こうした課題を克服するため、檜皮葺のように薄い材料を幾層にも重ねる洗練された技法が板葺にも取り入れられ、檜皮と木板双方の長所を併せ持つ革新的な屋根技法として杮葺が成立したと考えられています。
文献記録と現存建築
文献上で「杮葺」の語が登場する最古の記録は、鎌倉時代初期の建久8年(1197年)に成立した『多武峰略記』とされています。また、現存する最古の杮葺建築としては、奈良・法隆寺の聖霊院内にある厨子(ずし、小祠堂)の屋根が12世紀前半頃の杮葺であることが確認されており、その歴史の深さを物語っています。
中世における技法の変遷
中世以降、社寺建築ではより厚みのある栩葺(とちぶき)や木賊葺(とくさぶき)も用いられていました。しかし、厚板では屋根に優美な曲線を形成するのが難しいという制約があったため、次第に薄板の杮葺へと置き換わっていきました。例えば鳥取県の三仏寺本堂は建立当初は栩葺でしたが、後世の修復において美しさと機能性を兼ね備えた杮葺に改められています。
江戸時代までに杮葺が板屋根の主流となった結果、現代に伝わる板葺屋根の文化財建築の多くは杮葺仕様となっています。対照的に栩葺や木賊葺の遺例は極めて少なく、それらを施工できる熟練職人もほとんど存在しなくなりました。
近現代における杮葺
明治以降は耐火性の観点から瓦葺の普及や法規制も進み、新規に杮葺屋根を架ける建築は減少しました。しかし、神社仏閣や数寄屋建築など伝統的建築の維持修復においては、その美しさと歴史的価値から今日も欠かせない存在となっています。
近年では名古屋城本丸御殿(2018年再建)で杮葺屋根が復元採用されるなど、貴重な文化財建築の復元においても杮葺の伝統技術が継承され活かされています。
ユネスコ無形文化遺産に登録
2020年には「檜皮葺(ひわだぶき)」「杮葺(こけらぶき)」「茅葺(かやぶき)」「檜皮採取(ひわださいしゅ)」「屋根板制作」の技術が、伝統建築工匠の技としてユネスコ無形文化遺産に登録されました。この国際的な評価は、千年以上にわたって受け継がれてきた日本の杮葺技術の卓越した歴史的・文化的価値が、世界的にも認められたことを意味しています。
